2011年10月16日日曜日
2011年8月2日火曜日
たのしい電子工作?
地震に引き続いて福島で起った最悪の原発事故から早や五ヶ月。
あの混乱の三月に関東東北に舞い降りたエンジェルダストの見えない恐怖におののいた俺は、直ぐさまネットから情報を検索して、放射線検知器の制作に着手した。
まず、塩化ビニール管をナイロン等の繊維で擦り合わせる事により発生する静電気を、プラスチックのコップとアルミを利用して作った簡単な蓄電池に、カメラのフイルムケースにライターの燃料として用いられるブタンガスを注入充満させたガイガーミュラー管もどきに接続し、ラジオのノイズで放射線を感知する簡単な物を作ったが、これがまったく無反応。うんともすんと言わず、ただ塩ビ管を虚しく擦り過ぎて肩の筋を痛め、次の日の仕事をつらくしただけであった。
だが、俺は諦めずに軽やかに次の手段へ蝶のようにシフトする。
使い捨てカメラを使ったより高度な放射性探知システムの製作である。
だが、それには素人の手作りのGM管もどきなどではもはや用をなさぬ。本物のプロの仕事をするGM管が必要になるのだ。
俺は、ヤフーオークションで、冷戦時代にロシアで実際に使われた小型のGM管を落札。入札のボタンを押した時、俺はにわかにロシア兵がツンドラの森林の中のミサイルサイロで、孤独に飲むウオッカの匂いをかいだような気がした。
ネットを散見して、幾つかの使い捨てカメラを改造する手だてを学ばして頂き、久しぶりのハンダ付けに挑む。松ヤニの煙にむせながら(うそ)何とか一号機を、感電(500vくらいあるのでビリビリというよりも、物理的な鈍痛に近い)しながらも完成させGM管を取り付けた。節電対策で部屋の照明を極限まで落とした、まるで灯火管制のような暗い室内で、それは、まるで命のようにポッと灯った。やった反応したのだ。何らかの放射線をこの子が見つけてくれたのだ。これでもう大丈夫。俺はもう死神の鎌をよける事が出来るのだ。ルンルン気分で棒の先に取り付けたGM管を得意げに掲げてアパートの周囲を測定しまくったが、どうもその反応にムラがあるように思えた。何かがおかしいと思っていると、GM管の中央部のコイルが赤く光りぱなしになっている事に気がつく。いかん連続放電だ!しらべて見たら、電気がGM管を流れ続けないように、必要箇所に抵抗をつけないといけないと分かった。次の日おれは直ぐさま秋葉原まで行き、電気部品の謎に満ちた記号や複雑怪奇な種類に目を回しながらも何とか購入して帰宅。さっそくとり付けてみたが、どうも調子が思わしくない。どうやら、GM管の感度が大幅に下がったようである。連続放電でガラス管内部のガスがおかしくなったのかもしれない。俺は、流石につかれ果て、一時ガイガー計画を中止する事にした。一つには予算を使い果たしたというのもあったが。
それから3ヶ月、なるべく被爆量を減らすように努力しつつも、清掃というバイトゆえに、集塵をせねばならないので、必然的に放射性物質との近しい立場に危機意識を持つ。今の俺の環境は大丈夫なのだろうか?という懸念から、ふたたびガイガープロジェクトの旗を掲揚する事にした。
今度は、最初から確実に機能する物にしようと、国内の完成品やキットを探すも、品切れや在庫なしと来た。では外国だってんで、アメリカの電子工作のサイトから円高の追い風に乗って、アルファー、ベータ、ガンマを検知出来る小型放射線検知器のキットをドキドキもので購入。幸いな事に騙されるような事もなく、数日後には荷物は到着。さっそく製作にかかる。
当然ながら英語で書かれた組み立て説明書と格闘すること3時間。脳細胞が熱をもってグラグラして来たが、ハンダをびゅんびゅんと振り回して大奮闘し、ほどなく完成!早速スイッチを入れてガイガーちゃんの産声を聞こうとおもったが、どうも反応が芳しくない。はて?と思ってテスターという電圧などを計測できる機器でGM管の+と−を計ってみたら50ボルトくらいしかない。ばかな、説明書(英語だから読めない)には600ボルトと書いてあったじゃんかよう。どこかハンダの接触不良でもあるのだろうか?と色々とやってみたがどうにも分からない。ここですぐに思考が飛躍するのは、九州人の悪い癖で、部品が何らかの原因で不良をきたして動作出来ずにいるのだと考えて、それを取り替えれば、動作するはず、しかし私の知識では、その当該箇所の特定は非常に困難である。で、ここで「では、全部取り替えればいいじゃない」とアントワネット的に飛躍する。
だが、折しもアートブックフェアの期日が迫ってきており、まだほとんど製作出来ずにいた、俺は加熱したハンダのコンセントを抜いて、鉛筆を握らなければならず、泣く泣く(えっ)ガイガープロジェクトから離れたのであった。
そのアートブックフェアも終わり、猛暑でやや夏バテ気味であった俺は早速、あの奇妙な電子都市アキハバラへ飛ぶ。平日の昼間にも関わらず、がさがさと道を行き来する男たちと、奇抜な衣装で客引きをするかわいいメイドさんたちを躱しながら、主に電子部品をお店を何軒か梯子して、ガイガーキットに使われている部品のかなりの数を手に入れる事が出来た。何分素人である為、どうにも説明書に書かれたアメリカ人の大雑把な部品の説明だけでは理解の及ばぬ所もあって、購いかねる物も幾つかあったが、それは当該機からの部品を流用する事にして、汗と埃にまみれた体を地下鉄のシートに委ねて帰路に着いた。
次の日、さっそく改修に取りかかる。まず全てのハンダを一度吸い取り線と呼ばれる銅を細かく編み込んだ線で吸い取って、基盤上に付けられていた備品を全て取り去る。そして、抵抗、コンデンサ、ダイオード、LED、トランス等を取り替えられるものは全て取り替え再びハンダで接合。
今回は勝手が分かっていた為か、一時間ほどで作業完了。さっそく電池を繋いでスイッチを入れて見る。そして再びテスターで計ってみたが前と変らない。何故だ?だがネットで色々と検索していた時に、このキットはどうやら写るルンですを改造した放射性感知機が直流だったのに対して、どうやら交流がGM管にかかっているらしく、もしかしたら測定に仕方に問題があるのかもしれないと考えルに至った。と言う事はもしかしたら、これはこれで完成していて、俺はいつもごとく早合点して、無駄な時間と労力とコストを消費したのでは無いかと愕然とし、急いで鏡を覗き込んだが、幸いな事に額には”敗北”の文字は刻まれていなかったが、それでもやはりその顔は勝者には見えなかった。
その放射能測定器は、スイッチを入れていても自然放射線の検出は一分間に一つか二つ程度であり、非常に大人しいものだったが。。。。
購入したアメリカのサイト
この趣味と実益を兼ねたプロジェクトもようやく一段落ついたので、そろそろ本業のほうを何とかしねえと、今度はお前自身がメルトダウンだぜという脳内物質が分泌されたので、またがんばろうと思います。人が生きる事、存在する事は意味があるのか無いのか?という形而上の問題は、取りあえず一旦おいて、何もしなかった日の夜寝る前、朝起きる時に感じる、あの罪悪感のような物は、確実に内蔵的に形而下的に存在しており、あのいやな気分に対処するには、実際にいい仕事をする為にがんばる他はない。結局の所、人は、いや俺はそんな程度のものであり、またそれをため息をつきつつも認めて前進するしかないのだろう。魂の安息があるとした、与えられた俺と言う人間(ゲノム)の能力の限界に出来うるだけ近づきえたなら、たとえ倒れふしたしても、ほかならぬ俺の魂は俺を許してくれるに違いないのだから。
あの混乱の三月に関東東北に舞い降りたエンジェルダストの見えない恐怖におののいた俺は、直ぐさまネットから情報を検索して、放射線検知器の制作に着手した。
まず、塩化ビニール管をナイロン等の繊維で擦り合わせる事により発生する静電気を、プラスチックのコップとアルミを利用して作った簡単な蓄電池に、カメラのフイルムケースにライターの燃料として用いられるブタンガスを注入充満させたガイガーミュラー管もどきに接続し、ラジオのノイズで放射線を感知する簡単な物を作ったが、これがまったく無反応。うんともすんと言わず、ただ塩ビ管を虚しく擦り過ぎて肩の筋を痛め、次の日の仕事をつらくしただけであった。
だが、俺は諦めずに軽やかに次の手段へ蝶のようにシフトする。
使い捨てカメラを使ったより高度な放射性探知システムの製作である。
だが、それには素人の手作りのGM管もどきなどではもはや用をなさぬ。本物のプロの仕事をするGM管が必要になるのだ。
俺は、ヤフーオークションで、冷戦時代にロシアで実際に使われた小型のGM管を落札。入札のボタンを押した時、俺はにわかにロシア兵がツンドラの森林の中のミサイルサイロで、孤独に飲むウオッカの匂いをかいだような気がした。
ネットを散見して、幾つかの使い捨てカメラを改造する手だてを学ばして頂き、久しぶりのハンダ付けに挑む。松ヤニの煙にむせながら(うそ)何とか一号機を、感電(500vくらいあるのでビリビリというよりも、物理的な鈍痛に近い)しながらも完成させGM管を取り付けた。節電対策で部屋の照明を極限まで落とした、まるで灯火管制のような暗い室内で、それは、まるで命のようにポッと灯った。やった反応したのだ。何らかの放射線をこの子が見つけてくれたのだ。これでもう大丈夫。俺はもう死神の鎌をよける事が出来るのだ。ルンルン気分で棒の先に取り付けたGM管を得意げに掲げてアパートの周囲を測定しまくったが、どうもその反応にムラがあるように思えた。何かがおかしいと思っていると、GM管の中央部のコイルが赤く光りぱなしになっている事に気がつく。いかん連続放電だ!しらべて見たら、電気がGM管を流れ続けないように、必要箇所に抵抗をつけないといけないと分かった。次の日おれは直ぐさま秋葉原まで行き、電気部品の謎に満ちた記号や複雑怪奇な種類に目を回しながらも何とか購入して帰宅。さっそくとり付けてみたが、どうも調子が思わしくない。どうやら、GM管の感度が大幅に下がったようである。連続放電でガラス管内部のガスがおかしくなったのかもしれない。俺は、流石につかれ果て、一時ガイガー計画を中止する事にした。一つには予算を使い果たしたというのもあったが。
それから3ヶ月、なるべく被爆量を減らすように努力しつつも、清掃というバイトゆえに、集塵をせねばならないので、必然的に放射性物質との近しい立場に危機意識を持つ。今の俺の環境は大丈夫なのだろうか?という懸念から、ふたたびガイガープロジェクトの旗を掲揚する事にした。
今度は、最初から確実に機能する物にしようと、国内の完成品やキットを探すも、品切れや在庫なしと来た。では外国だってんで、アメリカの電子工作のサイトから円高の追い風に乗って、アルファー、ベータ、ガンマを検知出来る小型放射線検知器のキットをドキドキもので購入。幸いな事に騙されるような事もなく、数日後には荷物は到着。さっそく製作にかかる。
当然ながら英語で書かれた組み立て説明書と格闘すること3時間。脳細胞が熱をもってグラグラして来たが、ハンダをびゅんびゅんと振り回して大奮闘し、ほどなく完成!早速スイッチを入れてガイガーちゃんの産声を聞こうとおもったが、どうも反応が芳しくない。はて?と思ってテスターという電圧などを計測できる機器でGM管の+と−を計ってみたら50ボルトくらいしかない。ばかな、説明書(英語だから読めない)には600ボルトと書いてあったじゃんかよう。どこかハンダの接触不良でもあるのだろうか?と色々とやってみたがどうにも分からない。ここですぐに思考が飛躍するのは、九州人の悪い癖で、部品が何らかの原因で不良をきたして動作出来ずにいるのだと考えて、それを取り替えれば、動作するはず、しかし私の知識では、その当該箇所の特定は非常に困難である。で、ここで「では、全部取り替えればいいじゃない」とアントワネット的に飛躍する。
だが、折しもアートブックフェアの期日が迫ってきており、まだほとんど製作出来ずにいた、俺は加熱したハンダのコンセントを抜いて、鉛筆を握らなければならず、泣く泣く(えっ)ガイガープロジェクトから離れたのであった。
そのアートブックフェアも終わり、猛暑でやや夏バテ気味であった俺は早速、あの奇妙な電子都市アキハバラへ飛ぶ。平日の昼間にも関わらず、がさがさと道を行き来する男たちと、奇抜な衣装で客引きをするかわいいメイドさんたちを躱しながら、主に電子部品をお店を何軒か梯子して、ガイガーキットに使われている部品のかなりの数を手に入れる事が出来た。何分素人である為、どうにも説明書に書かれたアメリカ人の大雑把な部品の説明だけでは理解の及ばぬ所もあって、購いかねる物も幾つかあったが、それは当該機からの部品を流用する事にして、汗と埃にまみれた体を地下鉄のシートに委ねて帰路に着いた。
次の日、さっそく改修に取りかかる。まず全てのハンダを一度吸い取り線と呼ばれる銅を細かく編み込んだ線で吸い取って、基盤上に付けられていた備品を全て取り去る。そして、抵抗、コンデンサ、ダイオード、LED、トランス等を取り替えられるものは全て取り替え再びハンダで接合。
今回は勝手が分かっていた為か、一時間ほどで作業完了。さっそく電池を繋いでスイッチを入れて見る。そして再びテスターで計ってみたが前と変らない。何故だ?だがネットで色々と検索していた時に、このキットはどうやら写るルンですを改造した放射性感知機が直流だったのに対して、どうやら交流がGM管にかかっているらしく、もしかしたら測定に仕方に問題があるのかもしれないと考えルに至った。と言う事はもしかしたら、これはこれで完成していて、俺はいつもごとく早合点して、無駄な時間と労力とコストを消費したのでは無いかと愕然とし、急いで鏡を覗き込んだが、幸いな事に額には”敗北”の文字は刻まれていなかったが、それでもやはりその顔は勝者には見えなかった。
その放射能測定器は、スイッチを入れていても自然放射線の検出は一分間に一つか二つ程度であり、非常に大人しいものだったが。。。。
購入したアメリカのサイト
この趣味と実益を兼ねたプロジェクトもようやく一段落ついたので、そろそろ本業のほうを何とかしねえと、今度はお前自身がメルトダウンだぜという脳内物質が分泌されたので、またがんばろうと思います。人が生きる事、存在する事は意味があるのか無いのか?という形而上の問題は、取りあえず一旦おいて、何もしなかった日の夜寝る前、朝起きる時に感じる、あの罪悪感のような物は、確実に内蔵的に形而下的に存在しており、あのいやな気分に対処するには、実際にいい仕事をする為にがんばる他はない。結局の所、人は、いや俺はそんな程度のものであり、またそれをため息をつきつつも認めて前進するしかないのだろう。魂の安息があるとした、与えられた俺と言う人間(ゲノム)の能力の限界に出来うるだけ近づきえたなら、たとえ倒れふしたしても、ほかならぬ俺の魂は俺を許してくれるに違いないのだから。
2011年7月13日水曜日
TOKYO ART BOOK FAIR 2011 ZINES MATE用のジン完成(ほぼ)
今年で三回目であるアートブックの祭典、ジンズメイトが今週末から千代田区のART3331で行なわれる。
去年は、半年の歳月を費やしてオールリトグラフで無駄にがんばったが、反応はまあイマイチでした。去り行く猫が途中でちらっと振り返る的な感じとも言えようか。まあちょっと to muchだったもんね。
さて、今年は製作時間が2ヶ月弱と短かったため、去年の20ページを大幅に下回る12ページというショボサではあるものの、最近俄に描く事の情熱が再燃しつつある俺が、四畳半の部屋で酷暑にドロドロと溶けつつ、鉛筆で描いた幾つかのイメージ群。
それをパソコンで細工してハイスペックレーザプリンターで出力した珠玉の名作を、さらに引き回すように製本し、この惑星の大気に放つ。
まるで香る様なとまでは、むろん至らないが、男37才の仕事としては悪くは無い様な気がすると、己自身のねぎらうに足りうる程の作品には、なり得たような所感を持たぬでもない。
いささか、失敗したので、明日、もう一度出力でねばならないが、最早峠も半ばを過ぎて下りに入った。あとは転げ落ちるのみさ!あれ?
去年は、半年の歳月を費やしてオールリトグラフで無駄にがんばったが、反応はまあイマイチでした。去り行く猫が途中でちらっと振り返る的な感じとも言えようか。まあちょっと to muchだったもんね。
さて、今年は製作時間が2ヶ月弱と短かったため、去年の20ページを大幅に下回る12ページというショボサではあるものの、最近俄に描く事の情熱が再燃しつつある俺が、四畳半の部屋で酷暑にドロドロと溶けつつ、鉛筆で描いた幾つかのイメージ群。それをパソコンで細工してハイスペックレーザプリンターで出力した珠玉の名作を、さらに引き回すように製本し、この惑星の大気に放つ。
まるで香る様なとまでは、むろん至らないが、男37才の仕事としては悪くは無い様な気がすると、己自身のねぎらうに足りうる程の作品には、なり得たような所感を持たぬでもない。
いささか、失敗したので、明日、もう一度出力でねばならないが、最早峠も半ばを過ぎて下りに入った。あとは転げ落ちるのみさ!あれ?
2011年6月12日日曜日
健康行き各駅停車
最近は健康に気をつかって野菜を多く取る食事が多くなった。
米も白米に玄米を混ぜて炊いている。これがなかなかうまい。
夜も10時過ぎには床に付き、七時間睡眠を心掛ける。
毎朝の清掃のバイトも程よい運動であり、体型の維持の一助ともなる。
一日の生活はパターン化して陽の傾くのは早い、だが仕事ははかどる。
ほとんど人とも会わず話さずだが、ものを書く事で言語能力の低下を防ぐ
2011年6月5日日曜日
博物画的に
日曜の陽も傾きつつある中、炊煙がほのかに我が方丈に香っている。
今日も残りあと僅かだ、案外仕事がはかどったので気分が良い。
近頃、こつこつジンズメイト用の絵を鉛筆で書いている。リトグラフでの製作を断念し、鉛筆とアドビイラストレーターを用いた似非リトグラフで作る事に決めると、現金なもので、とたんに気が楽になった。
今回は、そういう博物画っぽくレトロでフューチャーな絵を描いてみようと考えた。
鉛筆画で細かく描画するので、電動鉛筆削りは必携だ。元は電池で動くんだけど、秋葉で部品を買ってきてAC電源で動くようにした。通常6Vの電圧で動くモーターに10Vの過電圧を加えると、若干ケミカルな煙が上がるが、研ぎが鋭くなってロケンロール!。
2011年5月29日日曜日
髪騎士
慌ただしさの中で春は瞬く間に過ぎ、気がつけば窓辺から聞こえるのは梅雨の雨音。
日曜の朝の雨は悪くない。何処にも行く予定が無いと言う条件がつくけど。
もちろん今日は何処にも行かない。一日家で絵を描いたり文章を書いたりして過ごすのだ。
昨日、お菓子や果物を買ったおいたので、口寂しいという事にはなるまい。
部屋には時計がない。おかげで常時視覚的な時間の刻みを感じられず、トロリとしたゼリーのように流動化した時の中で、そこそこに怠惰な無自覚な生を送る事が出来る。
一日は象のように案外早い。アフリカにも四畳半にも等しく奴らはいる。
よし雨音を肴に昼間から日本酒を呑もう。それは甘いピストルの味だぜ。
そういえば
神奈川県は小田原も手を伸ばせば届きそうな所にある渋沢という場所で、豆版画のグループ展が今月の始めより行なわれている。僕も一応参加させてもらい、四点程出した。
先週の好天を突いて電車に乗って行って来た。たまには遠くに行くのもいい。まじかで山の連なるを見ると、当たり前に衝撃を受ける。
展示場はブラッスリー千元屋という、イタリアンとフレンチを出すレストランの中に併設されている展示スペースだ。何十名もの版画作家の作品が所狭しと並べられ、明るい店内で賑やかに並んでいた。
その後、お店の人たちに、午餐のテーブルに招かれ酒食をごちそうになる。こだわりのない人達だった。さらに近くのギャラリーで面白いのをやっているから、一緒に連れて行ってもらう。
この辺は都下から遠く近くにあり、家賃も安く芸術家が多く棲んでいるとの事。
地元と美術が寄り添っているように感じられた。
アートブックフェア用の、作品のイメージもようやく目星がついてきた。
今回は、髪にしようと思う。
題名は La cheveulier あたりにしょうと思ってる。髪騎士いう意味の造語。
今回はオールリトグラフは無理だけど、綺麗な本にしたいと思ってます。
2011年5月10日火曜日
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